大杉栄、伊藤野枝訳
科学の不思議
食事の後で、叔父さんは栗の木の下で本を読んでゐました。その間子供達は庭で別々に離れて遊んでゐました。クレエルは截ちものをしてゐました。ジユウルは自分の花瓶に水を入れてゐました。エミルは――一寸めまいがしました。何が起つたのかと思ひましたが、災難はすぐ行つてしまひました。一匹の大きな蝶が石墻(いしがき)の下に生えてゐる葦の上を飛んでゐます。まあ、何んと云ふ立派な蝶でせう。その翅の上側は赤で、黒の縁がとつてあり、眼は青くて下側は褐色で波形の線があります。その蝶がとまりました。うまい。エミルは体を小さくして、手をのばして、爪先きでそつと近づきました。すぐに蝶はとんで行つてしまひました。が、その跡を追ひました。エミルは急いで手を引つこめました。何かに引掻かれて赤くなつてゐます。それはだん/\痛みが増して来て、悪くなつて来ました。エミルは叔父さんの処に走つて行きました。眼は涙で一杯になつてゐます。
『毒虫が僕を螫したんです!』エミルは泣きました。『叔父さん僕の手を見て! 痛むんです――ああ、何んて痛いんだらう! 蝮が僕を咬んだんです!。』
蝮と云ふ言葉で、ポオル叔父さんはびつくりしました。叔父さんは立つてその手を見ました。叔父さんの口許に笑ひが浮びました。
『そんな事はないよ、坊や。此の庭の中には蝮はゐない。何んて馬鹿な事をしてゐたんだい? 何処にゐた?』
『僕、蝶の跡を追かけたんです。僕があの石墻の根の葦の上にゐたのを捉へるのに手を延ばしたら、何かが螫したんです。見て下さい!』
『何んでもないよエミル、泉水の冷たい水の中に手をつけて御覧、痛くないやうになるから。』
十五分の後には、みんなはエミルの怪我の話をしてゐました。エミルはもうそのあやまちから回復してゐました。
『さあ、痛いのはなをつたらう。エミルお前は、何がお前を螫したか知りたくはないかい?』と叔父さんが尋ねました。
『えゝ、僕は慥(たし)かにそれを知らなければなりませんよ、今度はもう捉らないやうに。』
『よろしい。お前を刺したのは蕁麻と云ふ植物なんだよ。その葉も、茎も、一寸した枝も――無数の硬い、そしてうつろになつた刺で覆はれてゐる。そしてその刺には一ぱい毒がはいつてゐるのだ。その刺が人の皮膚をつきとほすと、その尖が破れて、その毒の硝子壜(がらすびん)の中味が傷に滲みるのだ。痛みはそれから来るのだ。けれども、それは危険な痛みではない。解るかい。蕁麻の刺は、毒虫の武器のやうな働きをするのだ。
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